尾崎豊

2009年11月 5日 (木)

尾崎 裕哉

前に一度、尾崎の息子裕哉君の歌う『I LOVE YOU』の音源を当ブログでも紹介しました。今その時の動画がUPされているので御紹介。
う~んありえない。何度聴いてもありえない。声だけじゃなく、その天性の歌いまわしまでソックリだ。削除される可能性が高いのでお早めに。
もう1つ、裕哉君を紹介してるブログがあります。↓

http://ameblo.jp/matsushita-michiko/entry-10336395733.html

あ~笑顔が父親にソックリだ。父親譲りのオーラも持っているみたいです。これ見ると、歌手活動はしてないけど、サプライズゲストとして人のコンサートで歌ったりしてるみたいですね。あ~生で聴きてぇ~。俺絶対泣くな。だって裕哉君の写真見ただけで泣きそうだもん。どんなに時間が流れても、やっぱり尾崎の死を乗り越える事は出来ないのかもしれないな~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月28日 (水)

坂の下に見えたあの街に

まとまった金をため ひとり街飛び出して行くことが
新しい夢の中 歩いて行くことだから
でも寂しそうに見送りに立ち尽くす母親にさえ
さよならが言えずじまいで アクセルふみ込んでた
あなたの夢に育まれて その夢奪ってくわけじゃない
小さな俺を眠らせた
こわれちまった オルゴールが
バックの中で 時をかなでている
俺は車を止めて 手を振っていやよ
坂の下 暮れて行く街に

仕事を終えて帰ると 俺のためにストーブをともして
親父はもう19の俺の頭 なでながら
話す昔話の意味が その日俺にもやっとわかった
飛び立つ日から思い出は 夢の中で語るだけさ
排気ガスにすすけた窓 俺はひとり夢見てる
坂の下のあの街の中で 必死に探し続けてた物
あの日の親父と同じ様にね
坂道のぼり あの日街を出たよ
いつも下ってた 坂道を

家庭を飛び出してきたのは それより上目指してたから
やがて俺も家族を持ち 同じ様に築きあげるだろう
何もかもわけあっていく様にね
思い出す たそがれて行く街を
坂の下 たたずんでいた街を
俺はいくつもの 傷をきざみこんだ
坂の下に見えたあの街の中

アルバム回帰線の7曲目に収録されている歌ですね。この歌を聴くとね、尾崎の父親に対する考え方とかスタンスみたいなものを感じるんだよね。そういえば加山雄三さんがTV番組で尾崎の歌に対してこんな事を言っていた。『彼の歌を突き詰めていくと・・・・お父さんの存在って大切だぞ!っていう事が聴こえてくる』と。まさにこの歌がそれを感じさせてくれる歌ですね。たまらないですよ、♪俺の頭なでながら話す昔話の意味がその日俺にもやっと分った♪の部分。親子だから当たり前かもしれないけど、尾崎にとって一番の理解者は父親だったんだと思う。尾崎が高校を自主退学する時も背中を押したのは父親だったし、覚せい剤で捕まった時もその事実を突き止めて警察に通報したのも父親でした。この事には凄く感謝していたみたいで『通報してくれたのが父親で本当に良かった』と後になって吉岡君に話していたみたいです。
ちなみにタイトルにもなっている『あの坂』とは東武東上線朝霞駅から自宅までの間にある『滝ノ根坂』の事らしいです。きっと色んな思いを抱いて、滝ノ根坂を歩いていたんでしょうね。そんな尾崎の思いがぎっしりと詰まっている歌です。

これは85年11月、2日間で3万人を動員した伝説の代々木オリンピックプールでのコンサート。この歌を歌っている映像自体が珍しいので貴重です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 3日 (木)

存在

にぎやかな街 隠しきれないさみしさが ほら見つめている
小さくかがめて守らなければ 自分の存在すら見失うよ
誰もかれもの存在ならば いつも認めざるをえないもの
それでも僕の愛の言葉は 何の意味さえもたなくなる
満ちたりて行くことない 人の心なぐさめられる様な
夢求めていても まのあたりにするだろう
生存競争の中 夢はすりかえられてしまう
受け止めよう 目まいすらする 街の影の中
さあもう一度 愛や誠心で立ち向かって行かなければ
受け止めよう 自分らしさに うちのめされても
あるがままを受け止めながら 目に映るもの全てを愛したい

僕に見えるものは いつも当はずれが多かったけれど
現実と夢の区別くらいは ついていたはずだった
何もかもをあるがままに 受けとめ様とするけれど
君は運命 誰かの人生 背負うこととはちがうのさ
どんな色でなぞればいい 自分の愛を否定してしまうまえに
笑ってもかまわないの でも君が愛や夢に
悩む時は どうか思い出して欲しい
受け止めよう 目まいすらする 街の影の中
さあもう一度 愛や誠心で たちむかって行かなければ
受け止めよう 本当のこと口にする君の目を
誰も傷つけぬ 気まぐれの様な やさしいうそすらさえも愛したい

愛は真実なのだろうか 愛は君を救ってくれるだろうか
背中あわせの裏切りに打ちのめされても
それでもいい 愛してる 他に何ができるの

受け止めよう 目まいすらする 街の影の中
さあもう一度 愛や誠心で立ち向かって行かなければ
受け止めよう 自分らしさに うちのめされても
あるがままを 受け止めながら 目に映るもの全てを

アルバム『回帰線』に収録されている歌の中で、俺が一番好きな歌がこの歌。そうえいば息子が最初に覚えた尾崎の歌もこの歌でした。昔は♪受け止めよう~♪って歌ってたな~。あ~あの頃が懐かしい(笑)。
♪背中あわせの裏切りに打ちのめされても~ それでもいい愛してる 他に何が出来るの♪
この部分が好きなんだよな~。メロディも良くてさ、尾崎には珍しくポップで明るい曲調。曲を聴くだけでも元気になれる歌なんだよな~。世間的にはメジャーな歌じゃないけど、尾崎が残した71曲の中でも秀逸の歌だと思う。


存在と言えば・・・尾崎ファンなら誰もが有明を思い浮かべるはず。あれ~有明の動画見つからないや。大阪球場で勘弁して下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月26日 (日)

卒業

校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持 感じていた
チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
何に従い 従うべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた
放課後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声とため息の飽和した店で
ピンボールのハイスコアー 競いあった
退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべる続けた
行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業

誰かの喧嘩の話に みんな熱くなり
自分がどれだけ強いか 知りたかった
力だけが必要だと 頑なに信じて
従うとは負けることと言いきかした
友達にさえ 強がって見せた
時には誰かを傷つけても
やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛すまっすぐさを強く信じた
大切なのは何 愛することと
生きる為にすることの区別迷った
行儀よくまじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業

卒業して いったい何解ると言うのか
想い出のほかに 何が残るというのか
人は誰も縛られた かよわき小羊ならば
先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向かうべきなのか
これからは 何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう
仕組まれた自由に 誰も気づかずに
あがいた日々も 終わる
この支配からの 卒業
闘いからの 卒業

どうなんだろうな・・・・世間的には『I LOVE YOU』と並ぶ尾崎の代表的な一曲なんだと思うんだけど、実はファンの間ではそれほど人気のある歌じゃないんだよね。昔見たTV番組でファンが選ぶスキウタランキングみたいなのがあったんだけど、20以内にも入っていなかった。この歌をキッカケに尾崎を好きになったファンは多いと思うけど、この歌が一番好きだというファンは少ないと思います。須藤Pは初めてこの歌を聴いた時『尾崎はこの歌を歌うために歌手になったんじゃないかと思った。それくらい説得力のある歌だった』みたいな事を話してました。確かにそんな気はするけども・・・・これを尾崎のイメージとダブらせる事はして欲しくない気がします。
俺も高校生の頃はこの歌が大好きでしたね。社会の仕組みだとか、通っていた学校のやり方に対する不満を抱えて生きていたタイプの人間だから、やっぱりこの歌が響いたんだよね。『あいつが強いとか、こいつが強いとか』、喧嘩の話を熱くしてたもんな~。さすがにピンボールのハイスコアーを競った事はないけどね(笑)。
10年以上前だと思うけど新聞である記事を見た。『尾崎が歌ってたから窓ガラスを割った』と供述したという高校生の話。ちょっと悲しかった。尾崎がこの歌を発表した当時もこんな事が多かったみたいだけど、尾崎は『学校の窓ガラスを割れ』という意味でこの歌を歌ったわけじゃないと思うんだよね。これから尾崎の歌を必要とするであろう若い世代に、その辺りの意味をしっかり理解してもらえると嬉しいかな。
卒業という題名が付けられた曲は4曲あったらしい。その中から一番良かったものを作品として発表したという話を昔TVで見たんだけど定かではないし、俺は信じていない。大体さ、この話をしてたのが尾崎が高校生の頃仲良かった人物と仲が良いという、非常に微妙な人物で、この人自体が信じられなかったな(笑)。

これは生涯最後に歌った卒業です。いろんなコンサートで沢山歌われている歌だけど、この最後の卒業が凄く好き。尾崎が唯一ピアノを弾ける自分の歌です。デビューしてからピアノを覚えたので独学。バックバンドを務めた人物が『尾崎豊は紛れもなく天才だった。何処が天才かと言うと努力という事に対する集中力が天才的だった』と語ってたな~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月22日 (月)

ダンスホール

安いダンスホールは たくさんの人だかり
陽気な色と音楽と煙草の煙にまかれてた
ギュウギュウづめのダンスホール しゃれた小さなステップ
はしゃいで踊りつづけてる おまえを見つけた
子猫のような奴で なまいきな奴
小粋なドラ猫ってとこだよ
おまえはずっと踊ったね

気どって水割り飲みほして
慣れた手つきで 火をつける
気のきいた 流行文句だけに
おまえは小さく うなづいた
次の水割り手にして
訳もないのに 乾杯
こんなものよと 微笑んだのは
たしかに つくり笑いさ
少し酔ったおまえは 考えこんでいた
夢見る娘ってとこだよ
決して目覚めたくないんだろう

あたい グレはじめたのは ほんの些細なことなの
彼がいかれていたし でも本当は あたいの性分ね
学校はやめたわ 今は働いているわ
長いスカートひきずってた のんびり気分じゃないわね
少し酔ったみたいね しゃべり過ぎてしまったわ
けど 金がすべてじゃないなんて
きれいには言えないわ
夕べの 口説き文句も忘れちまって
今夜もさがしに行くのかい
寂しい影 落としながら

あくせくする毎日に 疲れたんだね
俺の胸で眠るがいい
そうさおまえは孤独なダンサー

この歌については、前に説明した気がするので割愛。じゃあ何を話しましょうか?
尾崎には5歳上の兄貴が1人いる。いわゆる秀才。中学時代、全国統一模擬試験での成績は常に全国トップ5で数学に関しては全国トップの成績。中学生にして東大合格間違いなしと言われていたらしい。とにかく勉強ばかりしていた兄貴の姿を見て育った尾崎。自分も中学生になったらあれくらい勉強しなきゃいけないんだな~と子供ながらに思っていたらしい。兄貴は都内で最も偏差値の高い高校へ入学。しかし兄貴はここからそれまでのウップンを晴らすかの様に遊んだらしい。勉強はおろか家にすらほとんど帰ってこない高校生活。それでも1年浪人して早稲田大学法学部に入学。大学卒業後は裁判所書記として働き、尾崎の死後司法試験に挑戦。現在は弁護士として活躍している。
兄貴には及ばないものの尾崎は青山学院に入学。父親は明治大学の法学部卒業。実は勉強が出来る家系だったのです。


これは93年の秋にTVで公開されたオーディションの映像です。このダンスホールを聴いた審査員の方々が『16歳の高校生にこんな歌作れるわけがない』と信じなかったらしいです。尾崎豊16歳の巻。
特別に2パターンを用意。これがラストソングとなってしまいました。ファンの前で歌った最後の一曲です。尾崎豊25の巻。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 1日 (金)

受け継がれる才能という名の遺伝子

未だに尾崎豊命日の余韻から抜けきっていません。オザキ、オザキの毎日が続いています。昨日絢香の歌う『I LOVE YOU』を初めて聴いた。ちょっと衝撃的だったな~。宇多田ヒカルも上手いとおもったけど、この人の方が上かもしれない。『やっぱり絢香は上手いな~』と思ったよ。でもそんな絢香の『I LOVE YOU』を簡単に吹き飛ばしてしまう更なる衝撃が存在した。その衝撃を与えたのが他でもない尾崎の一人息子裕哉君だった。
裕也君が父尾崎豊の『I LOVE YOU』と『15の夜』を歌った音源が存在する。それを聴いた時本当に驚いたよ。だって尾崎そのものなんだもん。あの誰にも真似できない天性の声質と歌いまわしをしっかりと受け継いでるんだよね。聴く者全ての心を突き動かす尾崎のボーカル。あのボーカルを超える歌手は二度と出てこないだろうな~と思っていたんだけど、出てきましたね。尾崎のボーカルを超えられるのは裕哉君しかいないと思いますよ。裕哉君は今20歳くらいだよね。個人的には、やっぱり歌手になってくれると嬉しいな~と思うんだけど、反面父親と比較される事を考えると辛いよね。そんな辛い思いをさせるくらいなら・・・・やっぱり歌手にならない方が裕哉君のためだよな~とか勝手に思ってた(笑)。でもこの歌声を聴いて思ったよ。裕哉君には歌手になってもらいないな。17年前から止まってしまっている時計を裕哉君なら動かしてくれる気がするんだよね。尾崎がなくなった26歳でデビュー・・・・なんて事になったらファンとして本当に嬉しくおもう。
間違いなく歌は絢香の方が上手いとおもうよ。でも残念ながら絢香には無い物を裕哉君は持っている。その差は大きいと思うな~。だからこそ絢香以上に裕哉君の歌声が届いてしまうんだよね。まずは聴いて見て下さい。

上が『I LOVE YUO』で下が『15の夜』。その場にいる人たちの反応で、どれだけ父親に似ている歌声か分ると思います。特に『I LOVE YOU』は尾崎そのもの。俺泣いたもん(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月30日 (木)

Scrap Alley

二人で中古の車に乗り込み ハイウェイを飛ばすおまえは
明け始めた眩しい朝日に 祝福された
俺がいくつになると 子供はいくつになるだなんて
一度ヘマしたあの時も 同じように話してた
おまえは十九で父親になり 暖かい暮らしを見つけ
明けゆく空 あの日見つめながら
二人で愛の生活を約束した
両手に抱えた生活の中で おまえの汗は愛に費やされ
暖かい暮らしに小さな祝福をあげた
愛する者達は 俺だけをたよりに寄り添い暮し
幸せがどれほど大切か感じている
昔はチンピラだったと 笑うおまえ
少し淋しく うつむいた
昔みたいな事じゃ もう笑えやしないと
最後におまえは 何度も歌った
Say Goodbye Scrap Alley
Say Goodbye 一人ぼっちのアクセル ON
Say Goodbye おんぼろのギター
Say Goodbye 擦り切れた Rockn Roll
がむしゃらに傷つき求めた あの日より幸せになってくれ
この胸に愛の生活を誓うために
おまえは何度も歌うのか
Say Goodbye Scrap Alley

あの頃へたくそな Rock Band 組んで
目立とうとして ボリュームを上げた
格好つけては 彼女の気を引いていた
割れるぐらいに音が上がると
警察が来て苦情を言われた
暫くは知らないふりで歌っていた
昔の事思い出し 讃美して
懐かしがるつもりはない
これからおまえの生きざまを思う時
お前のShoutが 聞こえてくるんだ
Say Goodbye Scrap Alley
Say Goodbye 一人ぼっちのアクセル ON
Say Goodbye おんぼろのギター
Say Goodbye 擦り切れた Rockn Roll
がむしゃらに傷つき求めた あの日より幸せになってくれ
この胸に愛の生活を誓うために
おまえは何度も歌うのか
Say Goodbye Scrap Alley
Say Goodbye Scrap Alley

この歌に登場する19で父親になる彼は尾崎の同級生。同級生は尾崎に言った。『俺はもうすぐ父親になるんだ。もうお前みたいに愛とか夢とか言ってられなくなる』。そんな同級生に尾崎は言った。『そうか分った。俺もお前も自分らしく生きようじゃないか』。彼と尾崎は15の夜、盗んだバイクで走った仲間。あの夜・・・最後に辿り着いた場所がスクラップ工場の廃車の中だった。そこで夢を見た2人の少年。俺もお前もあの頃から卒業しようじゃないか。Say Goodbye Scrap Alleyという言葉にはそんな意味が込められているんだろうな~と推測してます。そんな詳細を知ると、なんだかこの歌が違った歌に聞こえるでしょ?実はそんな隠されたエピソードがあるのでした。この彼、実は後に大きな役目を果たす事になるんだよね。それは尾崎を世界で唯一人の歌手へと導くほどの役目。それはその時に話ます。

本当は代々木の映像を載せたかったんだけど音ズレしてたのでこちらにしました。大阪球場でのコンサートです。楽しそうに歌う尾崎は必見です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月26日 (日)

尾崎豊 17回目の命日

そういえば・・・・17年前の今日も土曜日でした。
当時はうちの会社も週休2日ではなくて、土曜日は午前中だけですが仕事でした。仕事が終わって迎えに来てくれた友人の車に乗り込んだ。その日の岩見沢は曇り空で、時々雨が降っていた。一度実家に立ち寄った時だった。父親に『ラジオで尾崎死んだって言ってたぞ』と知らされた。何馬鹿な事言ってるんだ?聞き間違いだろ?と思って聞き流し友人宅へと向かった。その友人宅に、別の友人から俺宛に電話が掛かってきた。
『尾崎死んだの知ってるか?』
俺はその事実を聞かされて泣いた。翌日からTVは尾崎の死を伝えるニュースで溢れていた。一体どれだけの涙を流しただろうか・・・・・毎夜俺はただただ泣いていた。そんな毎日だった。
尾崎は今も俺の中で生きている。俺の中に尾崎の存在があるから『あ~俺は今生きているんだな~』と実感する。人間は弱い生き物だから1人では生きて行けない。人間は寂しがりやだから1人では生きて行けない。俺は今も尾崎の存在を支えに生きている。もちろん尾崎だけじゃない。沢山の人の存在が俺の中にあるから、俺は倒れる事なく立っていられる。
今日からauのCMに尾崎が登場した。着うた解禁みたいな事らしい。え~携帯ソフトバンクからauに変えようかな~とか一瞬思ったけど、別にCD全部持ってるから必要ないじゃんと冷静に考えた(笑)。今日は昼間から尾崎の歌を聴いてました。映像見ようと思ったんだけど却下されたので一人寂しくウォークマン。ちょっと歌ったら『うるさい』って怒られた。今日くらい好きにさせてくれよな~(笑)。今日は朝まで尾崎に浸ります。有明と約束の日と代々木を続けて見るぜ~。あ~尾崎歌いたいな~。近々カラオケ行こうかな。
こうやって笑って尾崎を話せる様になったのが、俺の17年です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月25日 (水)

BOW!

否が応でも社会に飲み込まれてしまうものさ
若さにまかせ 挑んでくドンキホーテ達は
世の中のモラルをひとつ 飲み込んだだけで
ひとつ崩れ ひとつ崩れ
すべて壊れてしまうものなのさ
あいつは言っていたね サラリーマンにはなりたかねえ
朝夕のラッシュアワー 酒びたりの中年達
ちっぽけな金にしがみつき ぶらさがってるだけじゃ NONO
救われない これが俺達の明日ならば
午後4時の工場のサイレンが鳴る
心の中の狼が叫ぶよ
鉄を喰え 飢えた狼よ
死んでもブタには 喰いつくな

夢を語って過ごした夜が明けると
逃げ出せない渦が 日の出と共にやってくる
中卒・高卒・中退 学歴がやけに目につく
愛よりも夢よりも 金で買える自由が欲しいのかい
午後4時の工場のサイレンが鳴る
心の中の狼が叫ぶよ
鉄を喰え 飢えた狼よ
死んでもブタには 喰い付くな

結構強烈なサビの詞なんですよね。ブタとか狼とか、そんな言葉がサビに入ってる歌なんてどこにもないだろうな~。何が言いたかったのか・・・・俺の推測にすぎないんだけど、簡単な物ばかりに挑むのではなく、難しい事に挑んで行こう!みたいな感じなんだと思います。まぁ俺がそんな事言わなくても、ほとんどの人はそういう意味で解釈していると思うけどね。俺が特に好きなのは『夢を語って過ごした 夜が明けると』のところです。10代の頃、友人とそんな時間の過ごし方をした人って沢山いると思うんだよね。俺もその内の一人。この歌を聴くと、朝まで真剣に話した時の風景が蘇ってくるんだよね。あの頃は希望に満ち溢れていて楽しかったな~(笑)。今も十分楽しいんだけど、あの頃と比べるとね・・・・。
ちあみに尾崎が子供の頃住んでいた町では工場のサイレンが鳴っていたそうです。4時半だったか5時だったか5時半だったか・・・・正確な時間は憶えてないんだけど午後4時ではなかったようです。たぶん語呂が良いので午後4時にしたのだろうと、尾崎の父親が本の中で話していたのを記憶しています。

画像貼るの忘れてました。最近忙しくて疲れているので・・・・。これは阿蘇ビートチャイルドの映像です。尾崎の映像というより・・・阿蘇ビートチャイルドの映像自体が貴重な映像ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月11日 (水)

Scrambling Rockn Roll

俺達何かを求めてはわめく うるさいRockn Roll Band
誰も見向きもしない Scramble交差点で歌っている
ごらんよ 寂しい心を閉ざして歩くよ Hard Worker
自分のくらしが一番自分を傷つけると泣いてる
俺達遠くの街から 少しの金握りやってきた
思う存分もはしゃぎまわれず
Jungle Landに 迷いこむ
Scrambling Rockn Roll

通りすがりの 着飾ったあの娘は クールに夜を歩く
悲しませるもの すがりつけるもの 胸にいくつかかかえ
俺達そんな見知らぬ彼女を 夢中にくどいている
彼女の胸の上 優しい光ともして眠りたい
睡眠不足の Sleepy Boy
闇には孤独と 夢を織りまぜ
おびえた心のアクセルふかしても
街からは逃げられやしねえよ
Scrambling Rockn Roll

自由になりたくないかい
熱くなりたくはないかい
自由になりたくないかい
思う様に生きたくはないかい
自由っていったいなんだい
どうすりゃ自由になるかい
自由っていったいなんだい
君は思うように生きているかい

さかりのついた獣の様に 街はとてもDangerous
入口はあっても出口はないのさ
奪いあっては さまよう街角

自由になりたくないかい
熱くなりたくはないかい
自由になりたくないかい
思う様に生きたくはないかい
自由っていったいなんだい
どうすりゃ自由になるかい
自由っていったいなんだい
君は思うように生きているかい

寂しがりやの君の名前すら 誰も知りはしない
Scramble交差点では 心を閉ざし解りあうことがない
どんなふうに生きてゆくべきか わかってないねBaby
君の恐がってる ぎじぎりの暮らしなら
なんとか見つかるはずさ
奪い合いの街角で 夢を消しちゃいけないよ
見栄と偏見のふきだまり
気をつけて まっすぐ歩いてほしいよ
Scrambling Rockn Roll
Scrambling Rockn Roll
奪いあいのRockn Roll

いよいよ2枚目のアルバム回帰線に突入です。この歌は尾崎が渋谷のスクランブル交差点を歩きながら作った歌だとコンサートの時自分で言ってた歌ですね。
スクランブル=登る若しくは飛ぶというイメージを持っている人多いだろうね(笑)。俺も持ってるし。尾崎にとっての代表曲と言うより、ライブの代表曲というか名物曲。なんといっても84年8月4日の日比谷野音です。アトミックカフェに出演していた尾崎はこの曲の間奏で高さ7mの証明イントレに登った。登っただけなら良かったんだけどそこからまさかの飛び降りで左足を骨折。そのまま床に這いつくばりながら予定されていた全ての曲を歌ったという伝説のエピソードです。その前の事は良く分らないんだけど、たぶんこれがこの曲をライブの代表曲へと押し上げたのだと思います。最後となったBirthツアーでは4曲目に歌われてました。実際に札幌で見たけど、この歌一曲だけで20分~30分くらいやってたからね(笑)。まだ4曲しか歌ってないのにもう1時間?一体何時に終わるんだ?って思ったりしたもんな~(笑)。スクランブルは尾崎のコンサートになくてはならない一曲なのです。
余談ですが尾崎が骨折して入院した時、浜省からお見舞いの花束が病院に届けられたそうです。看護婦さんに『なんであなたに浜田省吾さんから花が届くの?』って不思議がられたとか。まだまだ尾崎はメジャーではなかったんですね。

迷ったけど大阪球場で行われたコンサートにしてみました。日本の音楽史上10代で球場コンサートを開いたのは尾崎が初めて。ほら、スクランブル=登るという意味分ったでしょ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月19日 (月)

僕が僕であるために

心すれちがう悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つけることに目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ
慣れあいの様に暮らしても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから
君が君であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

ファンの間でも人気上位にランキングする一曲ですね。この歌を支えに・・・・なんて話も耳にした事あったな~。確かにね、僕が僕であるために・・・・自分である事を守るためにはやっぱり勝ち続けなきゃいけないんだよね。何と戦って勝たなきゃいけないのか?それは他人ではなく自分なんだと思う。自分と戦い、そして勝たなきゃ・・・・僕が僕でいられなくなってしまう気がするんだよね。
アルバム17歳の地図最後の歌という事で17歳の地図の話でも。このアルバムのジャケットに尾崎の顔は映っていない。姿は映っているがシルエットになっていて顔が見えない様になっている。これには理由がある。尾崎は顔が良いので『アイドル歌手みたいな扱いをされたら困る』という事務所の意向からデビューアルバムに顔を出さなかったのである。
こういう事は他にもある。実は生前発表された十代の頃の尾崎の写真や映像のほとんどがモノクロ。6ピースや625DAYなど、中にはカラーだったものもあるけどね。凄いところだとフジTVで放映された代々木のコンサートまで色が付いてなかったからね。TV番組でさえそんな状態でした。これもカラーはイメージに合わないという事務所の意向だったという話を聞いた事があります。色の付いた十代の尾崎が発表されたのは、そのほとんどが彼の死後なのです。

人気曲だけに沢山動画がありました。その中から俺が選んだのはこれ。東京ドームに5万6千人を集めて行われた復活コンサート。最後に歌った歌がこの歌でした。歌い終わった後、なんとも綺麗な笑顔を見せるんだよね。男女問わず笑顔の綺麗な人が大好きです。『またどっかで会おうね』の一言が痺れます(笑)。はっきり言って、かなり貴重な映像です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年12月20日 (土)

傷つけた人々へ

どれだけ言葉費やし 君に話したろう
どんな言葉でも言いつくせなかった事の答えも
ひとつしかないはずと
時の流れに心は変わってしまうから
そして いったい何が
大切な事だったのかすら忘れさられてしまう
刹那に追われながら 傷つく事恐れる僕は
あの日見つけたはずの真実とはまるで逆へと
歩いてしまう
僕をにらむ君の瞳の光は
忘れかけてた真心教えてくれた
この胸に今刻もう 君の涙の美しさにありがとうと

センチメンタルな気持ちじゃ悔やんでばかりだよ
僕はなんてまぬけな男だったろう
君にはもう許されることもない
僕の幾つもの思いが指のゆきまから
すべり落ちてゆくよ
僕が傷つけてしまった君の涙の様に
使い古しの台詞 また口にしておどける僕は
今度こそは 本当に ひとりぼっちになってしまうよ
何も言わないで
僕をにらむ君の瞳の光は
忘れかけてた真心教えてくれた
この胸に今刻もう 君の涙の美しさにありがとうと

愛という言葉はなくても ひとりで生きてく訳じゃない
小さなプライドなんかで 傷つけあってもきっと君に
優しさ戻るだろう
僕をにらむ君の瞳の光は
忘れかけてた真心教えてくれた
この胸に今刻もう 君の涙の美しさにありがとうと

アルバム『十七歳の地図』の中で一番好きな歌は?と聴かれたら、俺はこの歌と答えます。俺の中では『I LOVE YOU』よりも、『15の夜』よりも、『僕が僕であるために』よりも、この歌なんだよね。なんだろう、傷つけた人への謝罪というよりも、傷つけた人への感謝みたいなものを感じる歌なんだよね。傷つけた人への感謝っていうのも変な話かもしれないなけど、そこに尾崎特有の優しさを感じる。
『愛という言葉はなくてもひとりで生きてるわけじゃない。小さなプライドなんかで、傷つけあってもきっと君に優しさ戻るだろう~』が、たまらなく好き(笑)。分かんないだろうな~。

これは新宿ルイードで行われたデビューライブの映像。18歳の初々しい尾崎です。デビューライブなんだけど・・・・既にライブ歌手として完成された歌声です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月14日 (日)

ありがとう!中村あゆみ

約1時間前、ミューズの晩餐という番組を見た。新聞見るとさ、『中村あゆみ尾崎を語る』なんて書いてあるんだもん。そりゃ当然見ますよ。
番組の中で中村あゆみは尾崎とのエピソードを色々語ってくれました。楽しかったな~。尾崎はあまり交友関係が広い人間ではなかったから、なかなか尾崎の話をTVでする芸能人っていないんだよね。だから凄く貴重。俺にとって尾崎との思い出をテレビで話してくれるのは、凄く有り難いし楽しいんだよね。もっともっと色んな尾崎を色んな人が話してくれるといいな~。で、話の後に中村あゆみは尾崎の『シェリー』を熱唱。歌っている歌手は違うけどさ、テレビから尾崎の歌が聴こえてくるのって、俺にとってはたまらないわけです。なかなかそんな機会もないわけで。凄く楽しくて嬉しい時間だった。何年振りだろうな~尾崎の歌で涙が出てきたのは(笑)。
ありがとう、本当にありがとう中村あゆみ。ちょっと早いけど、俺にとっては最高のクリスマスプレゼントでした。もうお腹一杯。今年はこれで乗り切れそうだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月29日 (土)

尾崎豊 43回目の誕生日

43歳になると、どんな景色が見えるんだろうな。
43歳になると、どんな音が聴こえるんだろうな。
43歳になると、どんな言葉が話せるんだろうな。
43歳になると、どんな事を感じるんだろうな。
俺がそこに辿り着くのは9年後。
そこには何が待っているんだろうな。
今よりも、ほんのちょっとだけ幸せだといいな。
Happy Birthday YUTAKA OZAKI
君の誕生日と僕の未来を共に祝おう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 8日 (土)

OH MY LITTLE GIRL

こんなにも騒がしい街並みに たたずむ君は
とても小さく とっても寒がりで 泣き虫な女の子さ
街角のLove Song
口ずさんで ちょっぴりぼくに微笑みながら
凍えた躰 そっとすりよせて 君は口づけせがむんだ
Oh My Little Girl 暖めてあげよう
Oh My Little Girl こんなにも愛してる
Oh My Little Girl
二人黄昏に 肩寄せ歩きながら
いつまでも いつまでも 離れられないでいるよ

君の髪を撫でながら ぼんやりと君を見てるよ
甘えた声で 無邪気に笑う ぼくの腕に包まれた君を
Oh My Little Girl 素敵な君だけを
Oh My Little Girl こんなにも愛してる
Oh My Little Girl
冷たい風が 二人の躰すり抜け
いつまでも いつまでも 離れられなくさせるよ

Oh My Little Girl 暖めてあげよう
Oh My Little Girl こんなにも愛してる
Oh My Little Girl
二人黄昏に 肩寄せ歩きながら
いつまでも いつまでも 離れないと誓うんだ

94年の1月だったかな~ドラマ『この世の果て』の主題歌に使われて一躍世に知られた歌です。このドラマの脚本家である野島氏とプロデューサーの大多氏が主題歌について打ち合わせ。『このドラマにピッタリな歌がある』といって野島氏が大多氏に聴かせたのがこの歌だった。大多氏は以前、ドラマ『愛という名のもとに』で浜省の歌を主題歌に使いたいと尾崎のプロデューサーだった須藤氏にお願いした事があった。そういう繋がりもあって大多氏はすぐに須藤氏に連絡。『大多の作るドラマなら大丈夫』という事で須藤氏はOKを出し、尾崎の歌が主題歌として使われる事になった。大多氏はテレビで『自分の作るドラマを、哲学的にと言うか宗教的にと言うか・・・・もう一段上に上げたかった。そのためには尾崎の歌が必要だった』と語っていた。ドラマを見た人なら分かると思うが、この歌はドラマの内容にピッタリだった。もの凄くヘビーなドラマなので見る事をオススメしませんけどね(笑)。俺の記憶が確かなら・・・・当時ドラマの主題歌ってドラマ冒頭で流していたんだけど、このドラマはエンディングで主題歌を流したんだよね。主題歌を流さずに主題歌のインストを流したりした事もあった。今ではエンディングで主題歌が流れるのは当たり前なんだけど、当時は凄く画期的だったのを覚えているし、おそらく『この世の果て』がそれを初めにやったのではないだろうかと思う。
ドラマのエンディングで流れるこの歌を聴いて敏感に反応した一人の少女がいた。それが当時9歳だった宇多田ヒカル。これをキッカケに彼女の中で尾崎は『世界で一番好きな男性』となっていくのである。確か宇多田ヒカルが本格的に歌手を目指し始めたのがこの頃なんだよね。俺の憶測でしかないんだけど、そのキッカケを与えたのが尾崎なのかもしれないね。ちなみに尾崎が井上陽水の歌を聴いて衝撃を受けたのが10歳の時。なんとも似たエピソードなのである。
17の地図同様、デモテープに収められているこの歌は発表されたものと歌詞が違っている。と言っても17歳の地図ほど違っているわけではなく、サビの部分が若干違う程度ですけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月19日 (金)

愛の消えた街

道端に倒れた様に眠る人がいるよ
一度は目にするが すぐに目をそらして通りすぎる
誰もが不幸になるかもしれない自分を守り
自分の愛を向けることもバカらしくて出来ない
まぬけな人ごみ
俺もまた先の解らぬ不安の中にいる
今を何とか生きる事で 心に余裕もないよ
金もとれない 学生に一体何が出来るのか
どんな奴らも つまりは自分の将来以外
どうでもいいと思うはずさ
愛の消えた街さ 昔からそうなのだろうか
それがあたりまえと言うには俺はまだ若すぎる
見つけたい 見つけたい 愛の光を

愛という言葉をたやすく口にするのを嫌うのも
一体何が愛なのか それは誰にも解らないから
男と女 心より躰で慰めあい
心を探して迷い道迷い込んで倒れるのが
見えるだろう
二人もまた先の解らぬ不安の中にいる
愛を誓い守る事が全てだと信じて
子供も産めない世の中の解らぬ二人に
いったいどんな愛が 育てられるとゆうのか
Oh!今ここに
愛の消えた街さ 昔からそうなのだろうか
それがあたりまえと言うには俺にはまだ若すぎる
見つけたい 見つけたい 愛の光を
信じたい 信じたい 愛の光を

この歌を語れと言うのですか?非常に難しいです(笑)。別の話をする事にしよう。
尾崎の才能にいち早く気付いた人物がいます。保育所だったかな?幼稚園だったかな?どっちだったかは憶えてないんだけど、どちらかの先生です。先生と両親の間に連絡帳みたいな物があったらしく、それが今でも尾崎の実家に現存している。その中で先生からこんな言葉が書き込まれていたらしい。
『何をやらせても出来てしまうお子さんです。特に音感とリズム感は素晴らしいですね。将来がとても楽しみです』
正確には憶えてないんだけど、こんな感じの言葉だったと思います。本出して調べれば分かるんだけど、面倒なので勘弁して下さい(笑)。本の中で尾崎の父親も言ってましたが、この先生こそ尾崎の才能に最初に気付いた人物なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 1日 (金)

17歳の地図

17のしゃがれたブルースを聞きながら
夢見がちな俺はセンチなため息をついている
たいしていい事があるわけじゃないだろう
一時の笑顔を疲れも知らず探し回っている
バカ騒ぎしてる 街角の俺達の
かたくなな心と黒い瞳には寂しい影が
喧嘩にナンパ 愚痴でもこぼせば皆同じさ
うずうずした気持ちで踊り続け 汗まみれになれ
くわえ煙草のSeventeen’s map
街角では少女が自分を売りながら
あぶく銭のために何でもやってるけど
夢を失い 愛をもて遊ぶ あの子忘れちまった
心をいつでも輝かしてなくちゃいけないってことを
少しずつ色んな意味が解りかけてるけど
決して授業で教わったことなんかじゃない
口うるさい大人達のルーズな生活に縛られても
素敵な夢を忘れやしないよ
人並みの中をかきわけ 壁づたいに歩けば
すみからすみはいつくばり 強く生きなきゃと思うんだ
ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いてくる
歩道橋の上 振り返り 焼けつくような夕陽が
今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ
Seventeen’s map

電車の中 押し合う人の背中にいくつものドラマを感じて
親の背中にひたむきさを感じて このごろふと涙こぼした
半分大人のSeventeen’s map
何のために生きているのか解らなくなるよ
手を差しのべて おまえを求めないさ この街
どんな生き方になるにしても 自分を捨てやしないよ
人並みの中をかきわけ 壁づたいに歩けば
しがらみのこの街だから 強く生きなきゃと思うんだ
ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いてくる
歩道橋の上 振り返り 焼けつく様な夕陽が
今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ
Seventeen’s map

尾崎豊の代表曲と言われる17歳の地図です。この歌には別バージョンが存在します。アルバムに収録された原曲と一部歌詞が違うんですね~。その別バージョンの17歳の地図はアルバム『17歳の地図』のデモテープに収録されています。つまり当初作られた17歳の地図から歌詞を一部変更してアルバムに完成版が収録されたのだと思われます。もちろん、そのデモテープ持ってます(笑)。これは尾崎が死んだ翌年、彼が倒れていた民家、通称『尾崎の部屋』を訪れた時に頂いた大変貴重な物です。じつはこのデモテープにはもう1曲発表された歌とは歌詞が異なる歌が収録されています。その話はまた今度。
俺的にはアルバムに収録されているオリジナルよりも、昔コンサートで歌っていたテンポの早い17歳の地図が好きなんだよね。いわゆる85年と呼ばれているバージョンですな~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月10日 (火)

15の夜

落書きの教科書と外ばかり見てる俺
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
やりばのない気持の扉破りたい
校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない
しゃがんでかたまり 背を向けながら
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
そして仲間達は今夜家出の計画をたてる
とにかくもう 学校や家には帰りたくない
自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている
15の夜
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜

冷たい風 冷えた躰 人恋しくて
夢見てるあの娘の家の横を サヨナラつぶやき走り抜ける
闇の中 ぽつんと光る 自動販売機
100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ
恋の結末も解らないけど
あの娘と俺は将来さえ ずっと夢に見てる
大人達は心を捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ
退屈な授業が俺達の全てだというならば
なんてちっぽけで、なんて意味のない、なんて無力な
15の夜
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
覚えたての煙草をふかし 星空を見つめながら
自由を求め続けた 15の夜

前に1度やりましたが再登場です。
言わずと知れた尾崎の代表曲の1つです。尾崎14歳の冬、仲間の1人が『髪が長い』という理由で教師に髪を切られる事件が勃発。この教師の行為を許せるものかと尾崎を含む仲間が集団家出を決行。冬の寒さを凌ぐために盗んだ衣類を身にまとい、盗んだバイクを公園で乗り回していた。最後に辿り着いたのが車のスクラップ工場。その工場にあった車の中で眠りにつく。見回りに来ていた教師に発見された。一週間の停学という処分が下った。
このエピソードはあまりにも有名であり、この実話が15の夜のモチーフとなっている。俺の記憶が確かなら、尾崎はバイクに乗らなかった気がするんだよね。盗んだバイクで遊ぶ仲間を冷静に見ていた・・・・みたいな話を何かで読んだ気がするんだよな~。2番の歌詞に関しては前に話したので省略。俺はね『憶えたての煙草をふかし 星空を見つめながら 自由になれた気がした15の夜』が好き。特に『自由になれた気がした』っていう言葉がたまらないんだよね。なんて言うか、15歳の心情を上手く表現した言葉だよな~って思うんだよね。確かに俺も15歳くらいの頃自由になれた気がしたもんな~。
札幌での最後のコンサートで最後に歌った歌が15の夜だったな。『この歌の主人公達は皆もう、いい大人になって、いい父親になって・・・・今でもこいつらとはよく一緒に酒を飲みます。いつまでも大切にしたい曲です』って歌う前に話してた。あの映像は今も鮮明に残ってるんだよね。
ちなみに・・・・俺が警察と深夜2時に鬼ごっこをしたのも14の夜でした。頑張って逃げたんだけど捕まってしまったよ(笑)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月25日 (金)

尾崎豊 16回目の命日

早いもので、あれから16回目の4月25日を迎える事になりました。世間にとってはただの4月25日なんだけど、俺にとってはやっぱり特別な日なんだよね。1992年の4月25日・・・・この日を忘れる事は一生無いだろうな~。
『太陽の破片』というシングルCDがある。我が家にあるこのCDが、どういうワケかある時から聴けなくなってしまった。聴こうとしてCDをデッキに入れるんだけど、頭から飛んでしまって全く聴けない状態。他のCDはちゃんと聴けるのに・・・・。忘れた頃に試してみるんだけど、何度試しても聴く事が出来なかった。そんな事が続いてしまい、いつしか試す事もしなくなってしまった。そして1992年4月25日。半狂乱で泣き叫んだ後、呆然とする俺の脳裏に過ぎった言葉。
『もしかして今日なら聴けるかもしれない・・・・』
俺は『太陽の破片』のCDを入れた。CDは一度も飛ぶ事なく最後まで曲を奏でた。しかし残念ながら次の日から再び『太陽の破片』は聴けなくなった。それはその日だけに訪れた偶然という名の奇跡だった。俺は今でも、あれは尾崎が奏でてくれたんだと信じている。
今年高卒で入ってきた18歳の新入社員がいる。尾崎が死んだ時、彼らは2歳。時の流れって怖いね(笑)。尾崎を知らない世代がどんどん増えてくるんだよね。そんな尾崎を知らない世代に、そして更に後世へ・・・・尾崎の存在と歌を伝えていく事が、ファンの役目なのかもしれないな~。そんな事を感じた16回目の4月25日でした。
4月16日にベストアルバムが発売された。一体何枚目のベストアルバムになるのか(笑)。ファンのリクエストで選ばれた歌が収録されている。驚いたのは『街角の風の中』。この歌はシングル『核』のB面として発表された歌でアルバム未収録曲。今回初めてアルバムに収録された。重いイメージが強い尾崎だけど、この歌は軽快で爽快。俺も大好きな一曲です。尾崎を知らない人に・・・・ぜひとも聴いてもらいたい一曲です。

WEDNESDAY~LOVE SONG BEST OF YUTAKA OZAKI Music WEDNESDAY~LOVE SONG BEST OF YUTAKA OZAKI

アーティスト:尾崎豊
販売元:ソニー・ミュージックレコーズ
発売日:2008/04/16
Amazon.co.jpで詳細を確認する

SATURDAY~ROCK’N ROLL BEST OF YUTAKA OZAKI Music SATURDAY~ROCK’N ROLL BEST OF YUTAKA OZAKI

アーティスト:尾崎豊
販売元:ソニー・ミュージックレコーズ
発売日:2008/04/16
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年4月17日 (木)

ハイスクールRock’n Roll

Oh!朝は目覚めても昨日の疲れひきずったまま
様にならない制服着て表へ出るよ
そして ぞろぞろと駅へ歩く人達に
まぎれ込んで 俺も歩いてゆくよ
満員電車に押し込まれ 言葉さえなくした Strange boy
何がどうなろうと 誰にもどうにも出来ないみたいさ
セーラー服のLittle girl 小さな躰もいくちゃにされ
それでも夢見てるの 失う事ばかりなのに
Rock'n Roll 踊ろうよ
Rock'n Roll くさらずに
Rock'n Roll 手を伸ばせば自由はあと少しさ

Oh!これから半日は退屈な授業で費やすだけで
見も心も疲れはて 魂さえも Knock Knock down
こっそり抜け出し 小さなコーヒーショップのSmoking time
ジュークボックスにいかした Rock'n Roll
俺らに聞かせて欲しいのさ
ちょっと!こんなラッシュアワーに死ぬまでもまれたくないよ
何がどうして誰のために縛られなくちゃならないの
逃れられない流れの中で
必死にあがいてる俺が見えるよ
Rock'n Roll 踊ろうよ
Rock'n Roll くさらずに
Rock'n Roll 手を伸ばせば自由はあと少しさ

尾崎の高校生活が見えてきそうな1曲です。
この歌と言えば、なんと言っても代々木で行われた10代最後のコンサート。『ラスト ティーンエイジ アピアランス』。これがメチャクチャ格好良いい。どちらかと言うとポップな感じの歌なんだけど、この代々木バージョンは別物。間奏でピアノの上に立ってブルースハープを吹く尾崎が素敵なんだよね。でもなんといっても歌い始める前のMC
『俺は最近こんな風に思っている。若さっていうのはルールに縛られない事なんだ。そして自分に与えられた全てのルールの中で、一体何が必要で何が必要でないのか、見分ける力を持っているのが若さだと思う。間違ったルールというのは人を傷つける事に方向が向かって行く。正しいルールというのは人を愛する事だ。みんな俺が作ったハイスクーRock'n Rollって曲を知ってるかい?人を愛したいなら自分の心に向かって叫ぶんだ。それRock'n Rollだーーー』
何か見て書いたのかって?いやいや、ちゃんと頭の中に入っているのです(笑)。若い頃も、そして今も変わらず、このMCに熱狂しているのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 5日 (水)

センター試験に尾崎豊

若者に反抗の勧め!?-。19日に行われた大学入試センター試験。公民の現代社会では、平成4年に亡くなり、今も人気があるロック歌手の尾崎豊(享年26)を引き合いに「対抗文化」についての出題があった。地理歴史では集団自決をめぐる高校日本史教科書検定で注目された沖縄戦も出題された
尾崎豊を引き合いにした出題は現代社会の第5問であった。「現代の青年は、激しい反抗や意思表示は必ずしも見られない」などの内容の文章を読むもので、ジェームズ・ディーンが主演する米国映画『理由なき反抗』なども引用され、「青年期」に関して適当な記述を選ばせる問題を出題。
本文では尾崎豊について「彼の歌は、対抗文化の持つ意義について今でも考えさせるところがある」と持ち上げ、対抗文化の意味を出題。「既存の秩序・体制を批判し、社会変革の原動力になり得るものである」とする選択肢を正解(配点3)とした。
さらに、本文を「葛藤(かっとう)から逃避することなく自己としっかり向き合ってみることが青年期の意義の一つである」との一文で締めくくり、青年に内なる葛藤を勧めた。
産経新聞より引用

こんな事あったんですね~。今日ヘキサゴンで知りました(笑)。尾崎が入試試験に登場するなんてな・・・・それだけ社会的知名度がある証拠なのかな~。悲しいかな、死んでから社会的知名度が上がった気がするんだよね。だからこそ、生前からファンだった俺は尾崎のファンである事に誇りを持っているんだよね。
どうでもいい事なんだけ、どんな形でも尾崎の名前が出てくると俺は嬉しいよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月13日 (水)

I LOVE YOU

I LOVE YOU 今だけは悲しい歌聞きたくないよ
I LOVE YOU 逃れ逃れ 辿り着いたこの部屋
何もかも許された恋じゃないから
二人はまるで捨て猫みたい
この部屋は落葉に埋もれた空き箱みたい
だからお前は小猫のような泣き声で
きしむベッドの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は目を閉じるよ
悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に

I LOVE YOU 若すぎる2人の愛には触れられぬ秘密がある
I LOVE YOU 今の暮らしの中では 辿り着けない
ひとつに重なり生きてゆく恋を
夢見て傷つくだけの二人だよ
何度も愛してるって聞くおまえは
この愛なしでは生きてさえゆけないと
きしむベッドの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は目を閉じるよ
悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に

いや~この歌を語り始めたら止まらないよ(笑)。
まずはこの歌が作られたいきさつから。デビューアルバムを収録中だった尾崎にスタッフが『もう1曲バラードが欲しいな』と一言。それを聞いた尾崎がその場で約30分で作った歌がこの歌だと耳にした事があります。17歳の高校生が作る歌じゃないよね。この歌を一躍有名にしたのが『北の国から』ではないだろうかと思います。純君を演じる吉岡さんは熱狂的な尾崎ファン。これは脚本家の倉本さんが『吉岡君が実際に聴いている歌を使おう』という事で実現。当時スタッフが皆尾崎の歌にハマってしまい、撮影現場では延々と尾崎の歌が流れていたらしい。尾崎と吉岡さんの話はまた今度。
『日本人で一番好きな歌手』
『世界で一番好きな男性』
と公言する宇多田ヒカルは自分のコンサートで『I LOVE YOU』を歌ったくらい熱狂的な尾崎ファン。俺は実際に宇多田ヒカルの『I LOVE YOU』を札幌のコンサートで生で聴いたんだけど、『うむ・・・・』と唸ってしまったくらい素晴らしく良かった。『いつも尾崎を聞いて1人で熱狂してる』って話してたよ。CMでは他の歌手が歌ってる。10代の頃なら嫌悪感というか殺意を抱いたと思うけど今はないな。むしろ尾崎の歌を次の時代へ歌い継いでくれる事に感謝したい。
何年前だったから忘れたけど韓国の歌手がこの歌をカバーしていて、韓国チャートの1位になったらしい。日本人が作詞作曲した歌が韓国チャートの1位になったのは、この歌が初めてだったらしい。
尾崎はサザンの『いとしのエリー』が大好きで、日本音楽史に残る名曲だと賞賛していた。『いとしのエリー』の様な後世に残る歌を作りたいと語っていた。『君には I LOVE YOUがあるじゃないか』と周りは言う。『あれじゃダメなんだ・・・・』と尾崎は呟く。でもね尾崎、君は気付いてなかったかもしれないけど『I LOVE YOU』は『いとしのエリー』に並ぶか、それ以上の歌になってると思うよ。この歌は十分誇れる名曲に成長してるよ。
この歌が未来永劫歌い継がれて行く事を心の底から願っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 9日 (水)

はじまりさえ歌えない

ふと目を閉じればアスファルトの道端に
うずくまり黄昏の影に手を伸ばし何か求めてた
埃だらけのビルディング ウイスキーの匂いがするよ
俺の心の中には求めるものがひとつも映らないよ
君の弾くピアノ まだ覚束つかない
刺激の強すぎる この街では心が鈍くなってゆくよ
君を抱きしめ離したくない
愛の光を ともし続けたい

カラカラに渇いた喉 へたばるまで走るのかい
ひとりぼっちの汗は誰の眼にもとまらない
蒸し暑い倉庫の中で 30分の休憩を取り
つめ込むだけのメシを食べて 届かない窓に手を伸ばしている
なけなしの金のためにアルバイト
楽しくやるには この街では金だけがたよりだよ
君のためなら死ねるさきっと
愛こそすべてだと 俺は信じてる

この街じゃ俺達 まだまだ世間知らずさ
情熱は空回りの 把みどころのない影
走り出してはいつも 路頭に迷い込んで
把むものも何もなくて はじまりさえ歌えない俺がいる
辿り着くといつも最終の電車
酔いどれのひとり言は この街では欲望に崩れてゆく
この街から君を守りたい
愛の光を ともし続けたい
君を抱きしめ離したくない
愛の光を ともし続けたい

俺がこの歌から感じるのは10代だけが持つ特有の疾走感。ひとつひとつの言葉からスピード感を感じるんだよね。それと同時に尾崎の高校生活が見え隠れ。蒸し暑い倉庫の中で・・・・とかは、彼が高校時代にバイトしていた、けんちん汁屋での様子が目に浮かぶんだよね。俺が尾崎や浜省を好きな理由は、景色が思い描ける言葉を歌っているところなんだよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月29日 (木)

尾崎豊 42歳の誕生日

26歳で逝ってしまった君も生きていれば今日で42歳。
あの時18歳だった俺も今は33歳。
お互い随分と歳をとってしまった。
あれから15年。
なるほど時代がどんどん移り変わって行くわけだ。

もっともっと魅せて欲しかった
もっともっと聴かせて欲しかった
もっともっと歌って欲しかった
もっともっと沢山の言葉を届けて欲しかった
もっともっと救って欲しかった

君の言葉と存在は、今も色褪せる事なく俺の中で生き続けている。
HAPPY BIRTHDAY YUTAKA OZAKI
君の安らかな眠りに祈りを込めて・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月24日 (土)

街の風景

街の風に引き裂かれ 舞い上がった夢くずが
路上の隅で寒さに震え もみ消されてく
立ち並ぶビルの中 ちっぽけな俺らさ
のしかかる虚像の中で 心を奪われている
あてどない毎日を まるでのら犬みたいに
愛に飢え 心は乾き ふらつき回るよ
灰色の壁の上 書きなぐった気持ちは
それぞれの在り方の空しさに震えてるんだ
追い立てられる街の中 アスファルトに耳をあて
雑踏の下埋もれてる歌を見つけ出したい
空っぽの明日に向けて投げてやるさ
誰もが眠りにつく前に
心のハーモニー 奏でよう
ガラス作りの歌 奏でよう
無限の色を散りばめた 街の風景

黙ってておくれよ 理屈なんかいらない
甘えだと笑うのも よく解ったから
無意味の様な生き方 金のためじゃなく
夢のため 愛のため そんなものにかけてみるさ
追い立てられる街の中 めくるめく日の中で
思い思いに描いてく 歌い続け 演じ続け
人生はキャンバスさ 人生は五線紙さ
人生は時を演じる舞台さ
心のハーモニー 奏でよう
ガラス作りの歌 奏でよう
無限の色を散りばめた 街の風景

この歌は尾崎が初めて自分で作った歌だと言われています。なんでも高校の授業中に作詞をしたとか。彼が高校生の時に組んでいた3人組みのバンドNOAでも演奏されています。ちなみにNOAはメンバー3人の頭文字を繋げてバンド名にしています。真ん中のOが尾崎。その貴重な音源が残ってるんですね~。もちろん私もその音源を所有してるんですね~(笑)。
また尾崎を一次オーディション合格へと導いた歌でもあります。一次オーディションのテープ審査。1曲目と2曲目を聞いてテープを止めようとしたレコード会社の人間の指をSTOPさせたのが3曲目に入っていた『街の風景』。これを聞いたレコード会社の人間が『お?』と尾崎に興味を持ち一次オーディションを合格させたのです。
そういえば今や伝説として語られる新宿ルイードでのデビューライブ1曲目がこの歌でした。不世出のライブアーティスト尾崎豊はこの歌から始まったのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月25日 (水)

尾崎豊 15回目の命日

今年も忘れることが出来ない4月25日がやってきた。歌手・尾崎豊の命日だ。
1992年のこの日の夜、同級生からの電話で衝撃的な尾崎の死を知った。俺は涙を流し、その時に何を話したのか全く覚えていない。ただ、何日もの間、半狂乱のように泣き叫び続けた。当時18歳の俺にとって、尾崎の死はそれまでの人生で最大の悲しみだった。
翌年、尾崎に会いたかった俺は東京へ行き、尾崎が倒れていた付近の民家を訪ねた。その2年後にも再訪し、尾崎を通して知人もできた。
今、俺は尾崎の年齢を2つ上回り、結婚して子供も生まれた。当時は泣きながらみていたビデオも、今は笑って見ることができる。だが、今も尾崎の歌に「このままでいいのか」「これが俺の望んだ人生か」と自問する。
さらに、「本当に幸せなのか」の言葉が付きまとう。それでも大丈夫だ。自分らしく生きていける。なぜなら尾崎の存在が心にあるからだ。
尾崎豊。「感謝を込めてありがとう」。これからもよろしく。

これは5年前の平成14年4月26日、某新聞に掲載された記事です。何を隠そう、この記事を書いたのが私でございます。『自分は尾崎豊のファンである』という証みたいなものを何か1つ残しておきたくて新聞社に投稿させて頂きました。
今日は朝から頭の中で尾崎の歌が奏でられていた。なぜか太陽の瞳。なんでこの歌なのかは分らない(笑)。夜はずーっと尾崎のライブビデオを見ていた。1人で何かをかみしめていた。やっぱり俺にとって4月25日は特別な日なんだよね。上手く言えないけど、今日だけはいつもと違う時間が流れているんだよね。

あの夜、俺は一体どれだけの涙を流したのだろう・・・。あの日から15年も経つんだね。この15年の間に世の中は随分と変わった気がするよ。100円玉で買えたぬくもりも、今では120円出さなきゃ買えないしね。今を見て、君はどんな言葉を発するのかな?それを凄く知りたいんだけど、残念ながらその術は何一つとして無いんだよね。一度でいいから君とゆっくり話がしてみたかったな。でもそれは、俺がそっちに行ってからでも遅くはないよね。その時が来るのを楽しみに待つ事にするよ。
尾崎豊という人間に出会えた事を感謝したい。
P.S
吉岡君頑張ってるよ。君を尊敬し、君の隣にいた青年は大きな華を咲かせたよ。きっと君が一番喜んでいるよね。君に見せてあげたかったな・・・。

MUSIC 遠い空 BY 尾崎豊

STFより永遠の26歳へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 6日 (水)

15の夜

この歌に心を振るわせた人は多いんじゃないかな~。当然、俺も心を振るわせた1人です。高校生の頃はとにかく反骨精神剥き出しでした。世の中の仕組み、みたいな物に疑問を抱いていたというか。『俺は社会に帰属した生き方はしねぇ』っていう信念を腹の底に持っていましたね。反骨精神剥き出しな所は今も変わってない(笑)。権力を振りかざしたり、ちらつかせる人間は大嫌いだね。そんな人間だから、この歌の言葉が突き刺さってくるんだろうな~。
有名な話ですが、この歌は尾崎の実話を元にして作られた歌です。盗んだバイクを公園で走らせた集団家出の話が有名ですが、実は♪夢見てるあの娘の家の横を さよなら呟き走り抜ける♪も実話。好きだった彼女の親が尾崎から娘を遠ざけようとして、娘を遠い親戚の家へ預けてしまう。彼女が行ってしまうその日の早朝。尾崎は彼女の家の横で一言『さようなら』と呟く・・・・。この歌にはこんなドラマもあったのです。
ちなみに、集団家出の話は尾崎が14歳の時の話。14の夜だと語呂が悪いので15に変えたと言われています。

十七歳の地図 Music 十七歳の地図

アーティスト:尾崎豊
販売元:ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:1991/05/15
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月30日 (木)

尾崎豊 41回目の誕生日

お元気ですか?僕の方はなんとか元気で頑張ってます。
北海道は今日から本格的な冬に入ったようです。また厳しい冬がやって来ます。
今日の朝、ふと考えた。君の歌に出会ってから一体どれくらいの時間が流れたのだろうか・・・。僕が君の歌に出合ったのは16歳の時だった。それが今では32歳。つまり、16年の付き合いになるんだね。よく考えてみるとさ、人生の半分を君の歌と過ごしている事になるんだよ。そう考えると、何か凄いよね(笑)。長い付き合いになってしまったんだな~。
愛と自由という決して結びつく事のないものを1つに繋げようとした君。その姿を滑稽だと笑う人もいるだろう。でもね、僕はそんな君の姿から人間の本質を学んだ気がする。君の言葉にどれだけ励まされたのだろうか。君の言葉からどれだけの事を学んだのだろうか。
沢山の感謝と精一杯の気持ちをこめて言いたい。
『HAPPY BIRTH DAY YUTAKA OZAKI』
君と同じ時代に生まれ、そして君に出会えた事を誇りに思う。
MUSIC きっと忘れない BY 尾崎 豊

2006年11月29日 STF

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月10日 (金)

永遠の胸

1992年4月25日。同級生から尾崎の死を知らされた俺の頭の中で、1番最初に流れた歌がこの歌だった。
5万6千人を集めた東京ドームでの復活ライブから約2年。沈黙を続けていた尾崎は活動を再開する。1990年11月21日、5枚目のオリジナルアルバム『BIRTH』を発表。2枚組20曲のアルバムに尾崎が用意した曲は実に40曲。『一体何枚出すつもりなんだ?』と須藤氏は笑ったらしい。永遠の胸はその『BIRTH』に収録されている。確か・・・アルバムタイトルを『BIRTH』にするか『永遠の胸』にするか悩んだという話を聞いた気がする。それくらい、尾崎にとってこの歌は大事な1曲だった。
♪伝えたい 僕が覚えた全てを 限りなく幸せを求めてきた 全てを♪
♪僕はいつでも ここにいるから 涙溢れて何も見えなくても 僕はいつでも ここにいるから♪
この詩がその時の状況と丁度重なっていた。だからきっと、何度も何度も頭の中でこの歌が流れていたんだと思う。今でもこの歌を聴くと・・・・あの時を思い出してしまうんだよな~。悲しみと虚無に打ちのめされ続けた日々を・・・。
Birtha

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 6日 (金)

ダンスホール

尾崎がレコード会社のオーディションで歌った歌がこのダンスホール。この歌がアーティスト尾崎豊の始まりだった。このダンスホールを聴いたレコード会社の人達はこんな話をしていたらしい。『あれは自分で作った歌じゃないな。16歳の高校生にあんな歌作れるわけがない。きっと誰かが作ったに違いない』それくらいこの歌の完成度は高かった。
1991年約束の日。3度目のアンコールに登場した尾崎はダンスホールを歌う。歌い始める前のあの笑顔がなんとも印象的。そしてこのダンスホールがファンの前で歌った最後の歌となってしまう。
アーティスト尾崎豊はダンスホールで始まり、ダンスホールで終わったのである。きっとこの歌こそ、尾崎豊の原点なんだろうな~とオイラは思うのである。

約束の日 LAST APPEARANCE 完全版 DVD 約束の日 LAST APPEARANCE 完全版

販売元:ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:2000/07/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月12日 (月)

1991年8月23日

バンドは1曲目のFireを奏で始めた。
♪思い切りエンジンをふかして いつもの夜の街の中 飛ばし続けてゆくのさ♪
初めて生で聴く尾崎の歌声は力強かった。尾崎の歌声、そして歌う姿に誰もが興奮していた。観客席の熱気とステー上から放たれる熱気が融合し、今まで体感した事の無い空間を作り出していた。
2曲目はドライビングオールナイト。残念ながら明らかに1曲目のFireより更に盛り上がる。やはり10代3部作の歌をファンは望んでいるんだな・・・と実感。尾崎は所狭しとステージ上を動き回り、そして叫び続けた。
そして3曲目は・・・ついに来ましたよ、17歳の地図。言わずと知れた、尾崎の代表曲の1つである。コンサートが始まってからどれくらい時間が経ったのだろう・・・熱気のピークがどんどん更新されていく。
『♪今心の地図の上で 起こる全ての出来事 照らすよ♪カモン』尾崎は観客席にマイクを向ける。ファンはそれに答えてサビを大合唱。
♫セブンティーンズマップ♫
1つのものを尾崎と共有している・・・これがファンの熱気を更に上昇させる。異常な盛り上がりを見せた17歳の地図が終わると、尾崎はギターをスタッフに預け、この日初めてのMCに入った。バックにはピアノとドラムの音が鳴っている。残念ながらこのMCで何を言ったのかは覚えていない。覚えているのは話終えた後の彼の叫び声。
『スクランブリング ロックンロール』
4曲目がスタートした。17歳の地図からスクランブリングR&R。熱気のピークが更に上昇したのは言うまでもない。尾崎は叫ぶ様に歌い狂う。そしてスクランブリングR&R恒例の尾崎とファンの掛け合いが始まる。
♪自由になりたくないか~い♪
♫熱くなりたくはないか~い♫
尾崎とファンが交互に歌詞を歌いあう。これだ・・・・これがどうしてもやりたかった・・・。オイラはとてつもなく嬉しかった。『ラスト ティーンエイジ』で聴いていた、あの掛け合いが出来るなんて・・・オイラは幸せだった。
やがて曲が終わる。尾崎は再び話始めた。そしてスクランブリングR&Rはまだ終わりを告げていなかったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 6日 (火)

1991年8月23日

1991年の夏は、オイラにとって忘れられない夏となった。たぶんオイラの人生で最も楽しかった瞬間。オイラの人生で最も切なかった瞬間。この夏の記録をオイラは高校3年から3年という時間を掛けて書き綴った。これはその物語の一部です。

尾崎豊Birthツアー札幌2daysの最終日。僕は札幌厚生年金会館にいた。これが僕にとって初めてのコンサート体験であり、最初で最後となった尾崎のコンサートだった。
会場入りすると既にグッズ販売が開始されていた。ツアーパンフとその他のグッズを購入。もっと欲しかったのだが、他のファンに圧倒されてしまった。残りは帰りに買う事にして席へと向かった。販売開始から20分後に購入したチケットは2階席の後ろから数えた方が早い場所だった。そこからステージを見てみる・・・遠い・・・物凄く遠い・・・。これにはさすがにショックを受けた。僕は席に座りパンフを見て時間を潰していた。開演時間が刻一刻と迫ってくる。心臓がバクバクと鳴り始める。そしてバンドメンバーがそれぞれの持ち場に付き楽器を持ち始めた。さぁ、後は主役の登場を待つのみ。会場内全体のボルテージが上がり始める。照明が全て落ちた。体内に留められていた熱気と興奮は拍手と歓声に変わる。暗闇の中、ステージ中央に当てられた一つの光。その光のなかに、ギターを抱えた人影が見える!それは紛れも無く尾崎豊だった。
「ウオーーーーー」
いきなり叫び始めた尾崎。その叫びと同時にコンサートはスタート。バンドは1曲目のFireを奏で始めた。

続きはまた今度!

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年4月25日 (火)

尾崎豊 14年目の命日

1992年4月25日 土曜日。もう14年も前なのか・・・。つい最近の出来事だった気がするな~。この日の夜、同級生からかかってきた1本の電話。それは尾崎の死を告げる電話だった。泣いたな~。どれだけの涙を流した事か・・・。朝まで寝ないで泣いてたな・・・。涙を流す毎日が一体どれだけ続いた事か・・・。

尾崎の死を知った時、最初に浮かんだ歌が『永遠の胸』だった。
♪伝えたい 僕が覚えた全てを 限りなく幸せを求めてきた全てを♪
この部分がね、何度も何度も頭の中で繰り返されてた。

そして1年後の1993年8月。オイラは尾崎が倒れていた、あの民家(小峰さん宅)の軒先に立っていた・・・。

う~ん、kazさん同様、止まらなくなってしまう。きっと2週間くらい、寝ないで話ができてしまうだろうな~(笑)。色々話したい事はあるんだけど、今日はこの辺で。また今度話す事にします。
ちょっと・・kazさんの真似をして・・・

オイラのスキウタ!
1位 失くした1/2
2位 理由
3位 Forget me not
4位 きっと忘れない
5位 街路樹

アルバム街路樹から2曲です。意外かな?尾崎のアルバムの中では、あまり評価が高くないのですが、オイラは結構好きなんです。遠い空も大好きですね~。あと街角の風の中も!

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2006年4月24日 (月)

出会い

オイラが尾崎豊の歌と出会ったのは高校2年生の時でした。一緒にバイトしていた1つ下の男の子とバイト代を何に使うのかと話をしていた時、
「尾崎豊のCD買うつもりです」
と答えた彼。オイラはその時初めて尾崎豊の名前を知りました。
「すげぇ、いい歌ですよ。買ったら貸すんで、聞いて見て下さい」
しかしオイラよりも先にバイトを辞めてしまい、尾崎の歌を耳にする事はなかった。

それから半年後、当事歌番組は氷河期を向かえ、長い歴史を持つ「夜のヒットスタジオ」も最終回を迎えていた。最終回の企画は、もう一度見たい映像のリクエストをFAXで募集し、それを流すというもの。この最終回で最も多くのリクエストを集めたのが、尾崎豊だった。太陽の破片を熱唱する尾崎豊。歌の内容よりも、その歌声と歌う姿にオイラはすっかりやられてしまった・・・。次の日、レンタル屋で回帰線を借りて聞いた。
♪自由になりたくないかい♪
と叫ぶ尾崎豊に、オイラはこんな気持ちを抱いた。
「自分と同じ価値観を持った人がいる」
それまで、オイラも色んな歌を聴いていた。なのに、尾崎の歌を聴き始めてから、他の歌手の歌が聴けなくなってしまった。なんかね、適当な言葉を並べて作った歌にしか聴こえなくなってしまった。そこに感じるものは嘘の世界だった。
あれから16年、今も尾崎豊はオイラの心の中で生きている。オイラという人間が死を迎えた時、初めてその存在が消えて無くなるのだと思う。

そしてまた、今年も4月25日がやってくる・・・。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2006年3月24日 (金)

尾崎豊 愛用品がオークションに

ヤフーが尾崎豊の愛用品オークションを始めたみたいです。売上金は全てユニセフに寄付されるチャリティーオークション。さっそく覗いてみましたよ。

今はブルースハープが出品されていまして、現在のお値段は771,000円?しかも残り時間は5日。って最終的には一体いくらになるんだ?実際に本人が使っていたのかどうかは分らないらしいが、ツアー機材の一式として保管されていた物とか。欲しい・・・凄く欲しい・・・。
今後も愛用していたギターやギターストラップにバック等が出品されるらしい。欲しい・・・お金があれば、きっと全部買い占めるだろうなオイラは。オイラはそれくらいの尾崎ファンです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年2月 2日 (木)

失くした1/2

ひとりぼっちの夜の闇が やがて静かに明けてゆくよ
色褪せそうな自由な夢に 追いたてられてしまう時も
幻の中 答えはいつも 朝の風に空しく響き
つらい想いに 愛することの色さえ 忘れてしまいそうだけど
あきらめてしまわないでね ひとりぼっち感じても
さあ心を開く鍵で 自由描いておくれ
安らかな君の愛に 真実はやがて訪れる
信じてごらん笑顔から すべてがはじまるから
ついてない時には 何もかもから目をそらすけれど
僕は壊れそうな愛の姿を 君の心に確かめたいだけ
いつまでも見つからぬもの 捜すことも必要だけれど
ひとつひとつを暖めながら 解ってゆくことが大切さ
あきらめてしまわないでね ひとりぼっち感じても
誰もがみな 愛求めて 世界はほら回るよ
安らかな君の愛に 真実はやがて訪れる
信じてごらん笑顔から すべてがはじまるから

MUSIC 失くした1/2 BY 尾崎豊

尾崎の歌の中で、オイラが1番好きな歌はコレ。どん底という暗闇でうずくまっている時、オイラの隣にはいつもこの歌が居てくれた。オイラの人生にとって最も大切な1曲。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 2日 (月)

尾崎豊と高橋克典

こんばんわ。お年玉を貰った息子より懐が寂しいオヤヂです。

ご存知ですか?教祖と呼ばれた歌手と特命係長の2人です。この2人には共通点が1つあります。大半の方が知っている思いますが、青山高等学院の先輩と後輩です。尾崎が1年生の時、高橋さんは3年生。1年生に生意気な奴がいる』と聴き、数人で尾崎のクラスまで尾崎を見に行った上級生の中に高橋さんもいたらしいです。このエピソードは尾崎が10代の時に雑誌にも乗っていたエピソード。ファンの間では結構有名なエピソードなのですが、まさかこの話に出てくる上級生が高橋さんだったとは、自分もビックリしました。

数年前、高橋さんが某番組でこんな話をしていました。高橋さんは高校生の時から歌手を目指していたのですが、デビューするまで結構時間が掛かっているんですよ。で、司会者に『途中で諦めようと思った事は無かったんですか?』と聴かれ

『高校の軽音部の後輩に尾崎豊君がいたんですよ。ある時彼が”先輩歌作ったんで聴いて下さい”と言って1曲歌ってくれたんですけど、それがメチャメチャいい歌で、凄いショックを受けましたね。その歌が15の夜なんですけど。その時は、歌手目指すの止めようと思いましたね』

高橋さんは尾崎を知る数少ない芸能人。しかも高校時代の尾崎を知っているんですよね。もう少し、その頃の話をテレビでしてもらいたいですね。

ちなみに1度だけ高橋克典さんに会った事あります。『愛してます』って冗談言ったら、おもいっきり笑ってくれました!テレビで見るより全然格好良かったですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月29日 (火)

Happy Birtyday To YUTAKA OZAKI

もし彼が生きていたのなら、今日は彼の40回目の誕生日』。

時間が止まってしまっているせいか、40歳の彼を想像する事ができません。

もし今生きていたのなら、彼はどんな歌手になっていたのだろうか?

時々、そんな事を考えます。

自分の中に在る彼の存在によって、自分は『生きているんだな』と実感しています。

Happy Birtyday To YUTAKA OZAKI

君の40回目の誕生日を祝福します。

MUSIC きっと忘れない BY 尾崎 豊

| | コメント (8) | トラックバック (0)